「春高ヨーロッパ倶楽部」2024年総会がドイツ・デュッセルドルフで開催されました。

[ 寄稿者:春高ヨーロッパ倶楽部 広報担当 加藤 晃 氏(高34回) ]

公立高校共学化で揺れる埼玉ですが、ヨーロッパでは 5月25日、ドイツ・デュッセルドルフにおいて「春高ヨーロッパ倶楽部」2024年総会が開催されました。夏休みになり、やっとゆっくりと支部ニュースを読んでいただける時期になったと思います。今回もデュッセルドルフおよび近郊の観光などの写真を中心に報告させていただきます。デュッセルドルフ観光記として若いOBにもお読みいただければ幸いです。

また、恐らくは史上最年少での春高同窓会出席ではないかと思われる、高76回卒(高校卒業後2か月)の田子力都さんが浪人生活2か月目にしてドイツ・デュッセルドルフの総会に参加されましたので、ご本人の感想も後半で紹介させていただきます。

《デュッセルドルフおよび近郊の紹介》

デュッセルドルフはヨーロッパにおけるリトルトーキョーです。日本からの観光客・移住者も多く、その雰囲気は想像していたものを遥かに超えて、日本食のお店があるだけではなく、ヨーロッパにおける親日の方々の聖地と言っても過言ではないでしょう。

フランクフルト国際空港からICE高速鉄道(最高時速300㎞)で一番早い電車で2時間半くらいでデュッセルドルフに到着します。実は高速道路を車で走ると2時間くらいで着くという日本の常識とは距離感が違います。また前述の76回卒・田子さんはデュッセルドルフ国際空港から会場まで徒歩での参加です。

デュッセルドルフ中央駅

さて、私はICE高速鉄道でデュッセルドルフに着きましたので、デュッセルドルフ中央駅の印象からお伝えします。駅の規模は15番線か16番線くらいまであり、交通の要所といった感じです。非常に印象に残るのは、この駅の東口から西口までが地上階でバリアフリーで繋がっており、改札もありません。簡単に大宮駅を例にすると、ルミネの店舗が全部1階にあって東口と西口を自由に往来できる道として機能しているということです。

新宿も昔は地下道で反対口に行きました。大宮も昔は地下道でしたね。今は上に昇ってから行けるようになりましたが、それでも東口と西口は分断されてしまいます。「デュッセルドルフの駅の作り方は素晴らしい。」これがデュッセルドルフの第一印象です。


デュッセルドルフ中央駅前の若者たち

デュッセルドルフ中央駅前の若者たち

沢山の若者たち

駅から屋外に出ると、そこには沢山の若者たちが居ました。写真を撮る許可を得て撮影しましたが、駅前にはこうした若者がヨーロッパ各地からデュッセルドルフに集まってくるのです。


デュッセルドルフの路面電車

デュッセルドルフの路面電車

路面電車が重要な交通網

そして駅前の広場には路面電車もあちこちから入ってくるのですが、この路面電車のホームが低いんです。ほとんどの場合は路面と同じ高さか歩道の高さです。路面電車がデュッセルドルフの重要な交通網になっていて4両編成から8両編成くらいで頻繁に走っています。バスも走っているのですがバスは基本的に2両編成。こうした輸送力・往来を重視する点は日本よりも随分と前を走っているという印象を受けました。


駅前通りはこうした方達のため車両は通行禁止となっています

駅前通りはこうした方達のため
車両は通行禁止となっています

駅前は歩行者天国

駅前の目抜き通りは歩行者天国になっており、色とりどりの衣装でダンスをしたり、テレビの撮影が行われていたり、何かをアピールしている方もいます。何をアピールしていたのかは私には見当もつきませんでしたが。

白バイの警官が10台くらい出て警備をしていますが、皆さんのんびりとした雰囲気でしたので、私は話しかけてみることにしました。オートバイに乗る方は分かると思うのですが、この白バイすべてBMW製なのですが、すべてRエンジンだったんです。それで私は「どうしてすべてRエンジンなんでしょうか?Kエンジンは使わないのですか?」と聞いたのですが、白バイ隊員たちは若いのに英語が話せないようで、きちんとした回答はもらえませんでした。

多くの日本食屋と日本の店が並ぶ

デュッセルドルフ中央駅からは皆さん西に向かって歩くのです。駅から西側にはライン川があり、皆さんそちらを目指して歩いていきます。多くの日本食屋があり、日本の店が並びます。写真のTAKAGI本屋さんは移転しましたと書いてありますが、ヨーロッパのアニメ好きの聖地であったことは容易に想像できます。その隣には日本語でドイツ語学校と書いてあります。からあげ屋さんを見る限りここがドイツだとは分かりません。おにぎりも売れて居るようです。


Stadtgraben 運河に沿って有名ブランドのショップやお洒落なカフェが建ち並ぶ Königsallee 通り

Stadtgraben 運河に沿って 有名ブランドのショップやお洒落なカフェが建ち並ぶ Königsallee 通り

美しい運河と美しい並木

駅から西に15分ぐらい歩くと美しい運河とその両側に美しい並木、そして立ち並ぶブランドショップの道に出ます。Stadtgraben という運河ですが、ここまでの15分に原宿と表参道・銀座そして皇居のお堀が次々と現れ、それでも一本路地を入れば、40年位前の早稲田の古いアパート街みたいなところもあって、路面電車もバスも駅も人にやさしい作りなのですから、この15分で私はすっかりデュッセルドルフの街が好きになってしまいました。


鳥たちも大歓迎してくれた

私はここに来るまでにドイツのパン・サンドなどとペットボトルを買ってきましたので、この美しい運河を眺めながら食べることにしました。すると大きな鳥がどんどん集まってきましたので、パンの端を鳥たちにも分けてあげました。鳥たちにも歓迎されたような気持になって嬉しくなってしまったことは言うまでもありません。

ロンドンのような二階建てバス

また、この運河からは観光客の市内観光用の2階建てバスが発着しており、ロンドンのような景色なのですが、しかも混雑していないとても優雅な雰囲気を醸し出していました。


自然と人間がうまく溶け合っている街

ここで、デュッセルドルフの人口について見てみると、人口は63万人。面積はさいたま市と同じですので、さいたま市の約半分の人口密度ということになります。結構な都会ですが街づくりがうまくて、町の中心部に緑が豊富でスペースにゆとりがあり、自然と人間がうまく溶け合っている街だと感じます。この人口密度は札幌市・仙台市・神戸市よりも遥かに高く、十分に都会なのにも関わらずというところが凄いですね。

デュッセルドルフ中央駅から会場の日向までは3㎞にも満たない距離なのですが、もう少し歩いて観光してから会場に向かいます。


Kö-Bogen II と Dreischeibenhaus

Kö-Bogen II と Dreischeibenhaus

Kö-Bogen II

この新しくできたショッピングセンター兼デパート兼オフィスビルは、建物の全面・側面と屋根をすべてシデの生垣で覆い尽くし、緑を増やし温度の上昇を防ぎ市の中心部を憩いの場として機能させるように作られた、デュッセルドルフの新しいビジネスセンターです。

写真の左側に見えるのは、Dreischeibenhaus というオフィスタワーなのですが、ここまでのスロープには芝生が植えられており、オフィス街の真ん中に人々が寝転がってリラックスできる広いスペースが設けられています。また、この写真でも路面電車のホームが地面の高さであることが確認できます。


Schadow-Arkaden と修復中のヨハネス教会

Schadow-Arkaden と修復中のヨハネス教会

Schadow-Arkaden

ブランドショップやレストランが入るショッピングモールです。こうした美しいデザインのショッピングモールがたくさんあります。その先に見える高いタワーは修復中のヨハネス教会です。この教会の中にはカフェがあり安い値段で日替わりスープなどが食べられ、休憩に寄る方も多いと聞きます。


Denkmal Peter von Cornelius の像

Denkmal Peter von Cornelius の像

Denkmal Peter von Cornelius

「右手にブラシ左手に外套」で知られる王室アカデミーの初代理事長だった、ピーター・フォン・コルネリウスの立派な彫像があります。ピーター・フォン・コルネリウスを讃える像といわれていますが、第二次大戦での連合軍の爆撃によって彼の作品はほとんど焼失してしまったことから、戦争の愚かさをも訴えているのかと思わせます。


Kö-Bogen

Kö-Bogen

Hofgarten と Kö-Bogen

ここから Hofgarten という公園の中に入っていきます。今回の会場へはこの公園を抜けて参加します。こうしたきれいで広い遊歩道や自然豊かな公園が街の真ん中にあることが信じられないくらい素晴らしい環境です。また、この彫刻の反対側には Kö-Bogen というショッピングモール・ホテル・オフィスなどが入る美しいビルがあります。


Kriegerdenkmal 勇者とライオンの像

Hofgarten に入るとすぐにある彫刻は Kriegerdenkmal といわれる勇者とライオンの像です。Hofgarten には沢山の彫刻がありますが、その中でも代表的なものです。Hofgarten は市民の憩いの場となっており、デュッセルドルの街自体が憩いの場であると感じます。
Hofgarten の鳥たちは実にのんびりと自由に平和に暮らしています。こういうところを歩いて会場に向かうという実に幸せな時間を演出してくださった、幹事の黒岩さん(高36回)に感謝しながらの気持ちの良い散歩でした。


ライン川とTonhalle

Hofgarten を抜けるとライン川に出ます。ジャパンデーにはこの河川敷で日本の花火が上がることを想像して川を眺めました。川岸には Tonhalle といわれるコンサートホールがあります。今回は私は中に入りませんでしたが、非常に美しいホールだと評判です。ホールの外側屋上にはビールを飲んでデッキチェアに寝そべる人たちでいっぱいでした。夜景もきれいだという評判を聞きます。またここからはラインタワーがよく見えます。


Ulanendenkmal ウーラン記念碑

Ulanendenkmal
ウーラン記念碑

Ulanendenkmal

日本語ではウーラン記念碑といわれています。ヴェストファーレン ウーラン第5連隊は、ナポレオンとの戦いで解放戦争中の1815年に編成されたプロイセン軍の騎兵連隊です。1822年からデュッセルドルフ駐屯地に駐屯し、数多くの戦闘を経験しました。この記念碑は、元ウーラン人の主導により1929年に建てられたとのことです。現在のデュッセルドルフは非常に平和で安全な街ですが、歴史上の長い期間を戦火の下に置かれていたことを想像させられました。


Kunstpalast 美術館

Kunstpalast 美術館

Kunstpalast

この美術館は外見は非常に歴史あるように見えます。私はこの美術館の中を抜けて会場に向かうことにしました。それが近道だと思ったのです。そしてこの美術館にあるカフェで時間調整をするつもりでした。

この美術館は有名なアートから現代アートまでを非常に幅広く展示しています。この美術館の面白いところは、この美術館のコンセプトが「それはすべて芸術ですか?」と自信に問いかけるようなところです。何も知らずにこの美術館に立ち寄った私ですが、正直に言うとお目当てのカフェは超満員で非常に人気で、私には席が空くまで待つ忍耐力はなく、美術館の中を通り抜けましたが通り抜けただけの訪問でした。


Bezirksregierung Düsseldorf

デュッセルドルフの地区政府庁舎は、政府宮殿とも言われる荘厳な建物です。建築家トラウゴット・フォン・ザルツヴェーデルはプロイセンの貴族出身で、プロイセン王国政府の所在地としてデュッセルドルフを特に象徴するものを思い描き、彼は1907年から1911年までの4年間、6つの翼を持つ4階建ての建物の建設に取り組みました。階段は、ルイ14世が外国の大使を迎えたベルサイユ宮殿のバロック様式の階段をモデルにしています。現在、デュッセルドルフの地区政府がここにあります。
この建物を見たら、この場所がドイツであることを忘れ、パリかローマに居るような気がします。

ここまで、デュッセルドルフの街をデュッセルドルフ中央駅から中心部を約3㎞歩いた道のりを書いてきましたが、2024年「春高ヨーロッパ倶楽部」デュッセルドルフ総会の会場である和食レストラン日向はこの地区政府庁舎のすぐ裏です。


《「春高ヨーロッパ倶楽部」総会》

会場となった和食レストラン日向

会場となった和食レストラン日向

会場の和食レストラン日向は石造りのビルの一階で、大きなアーチ形の窓が2つある立派なレストランです。前述の政府宮殿と呼ばれる庁舎のすぐ裏という立地ですが、レストランの前には静かな公園と木々の中に遊歩道がある落ち着いた場所にあります。


春高ヨーロッパ倶楽部総会の様子

春高ヨーロッパ倶楽部総会の様子

参加者は、ドイツ3名、マデイラ1名、日本から尾崎会長(高22回)と矢倉さん(高34回)夫妻のほかに今年は特別ゲストとも言えるお二人が参加してくれました。法政大学4年生の中村さん(高73回)と卒業後浪人2か月の田子さん(高76回)の計9名です。

尾崎会長より同窓会の事業報告や進学状況、男女共学化の問題などのお話があり、その後は乾杯のご発声の後、本格的な和食をいただきながら若い参加者からの様々な質問について意見を交わしました。

参加者全員が自己紹介や近況の報告をするとともに、美味しい食事とともに世代年代を超えたさまざまの話題で大変に盛り上がった会となりました。ちなみに尾崎会長(22回)と田子さん(76回)の年齢差は54年です。こうした年齢差をあまり感じることなく様々な話題で話せるというのが春高同窓会の素晴らしいところだと感じました。

尚、二次会は36回黒岩さんのご厚意により、カラオケバーModern Times にて執り行われました。その会場にて全員で校歌を大きな声で歌ったことは言うまでも有りません。

今年の総会には、73回と76回の二人の若い同窓生が日本からドイツ・デュッセルドルフまで来てくれました。こうした若い方の参加は非常にうれしいもので、今後も浪人生・大学生をはじめ多くの若い方に積極的に参加していただきたいと思います。76回の田子さんは高校卒業後2か月ですので、同窓会参加最速記録になるかもしれません。そこで今回は田子さんの参加後の感想をここに掲載させていただきます。現役高校生にも読んでいただければと思っています。

田子さんの感想

今回ヨーロッパ同窓会に参加させて頂いた田子(76回)です。大学に落ちたタイミングでこの一年を海外渡航に費やそうと決めました。卒業してすぐに同窓会室へ伺い、ドイツでの同窓会に参加できるようにコンタクトを取ってもらいました。そこから準備や手続きをこなして5月25日に無事ヨーロッパ春高会へと参加しました。同窓会では先輩方と様々な議論ができました。これからの春高のことであったり自分の将来についてもよく考えて、助言をいただきました。翌日には Düsseldorf にお住まいの先輩である黒岩さん(36回)にドライブに連れて行ってもらいました。まずはじめに、ライン川沿いの Zons という町に行きました。Zons は中世のブルグがそのまま残っている街で、世界史を学んだ身からするととても興味深く、私の目はキラキラしていた事でしょう。日本と比べて地震や急激な気候変動がないからこそ、長い時を経ても残っているのだと考えました。

その後ライン川を肉眼ではっきりと見ました。穏やかな川だと思っていたので、あの激流には驚きました。その後 Köln へと向かい、そびえ立つ大聖堂を拝見しました。とてつもなく巨大で、現代でも信じ難い程の建築物でした。それを中世期に建ててしまうなんて、もし自分が中世の人間だったら、簡単に神様を信じるだろうと思いました。それ程に圧感でした。
その後ライン川沿いでランチを食べて帰宅しました。その際黒岩さんにホテルまで着いて来てもらいフロントと延泊の交渉をしてもらいました。流石に空港で1泊するのは危険という事で代わりに交渉してもらいました。

翌日は1人でBonnを観光して、無事ドイツの旅を終えることができました。度々ハプニングはあったものの、頼りになる先輩方のおかげで楽しい旅でした。帰国してからは日本橋の集いにも参加しました。そこでは昔海外で活躍していて、現在は日本で仕事をされている方々とDüsseldorfでの話や春高、将来、経済など様々な議論を交わしました。世代を越えて様々な課題を語り合い、様々な視点で各々が考察できるのはとても良い事だと感じました。これが各地で行われるといいですね。また参加できることを願っています。

田子さんの見た景色


田子さんはデュッセルドルフ国際空港から会場まで歩いて来ました。最終日は空港のロビーで寝るつもりで居ました(おそらくは空港まで歩いて行くつもりだったのでしょう)が、夜は空港が閉まってしまいますし安全ではないので黒岩さんがホテルにもう一泊できるように交渉しました。・・・こういう話って良いですよね。私も若い時はいろいろと無茶をしたもんですが、若い人は無茶をしてもいいと思うんですよね。若い人に許されていることって無茶くらいだと思うんです。若いOBでこれを読んだ方は、どうぞ命だけは大切にしながらもできるだけの無茶をしちゃってください。無茶しちゃった人はそれが経験値となり、次回は無茶ではなく経験に裏付けられた自信になりますから。

さて、田子さんは総会の2日後にボンのベートーベンハウスを見学してから3日後に日本へ帰ったようですが、私は総会の翌日にはデュッセルドルフからフランクフルトに移動し、その日の便で3年ぶりに日本に一時帰国することになっていましたので、日本食レストランに行列するヨーロッパの方々を写真に撮りつつも、私自身はコーヒーとトーストをデュッセルドルフ中央駅に近いところで注文しました。その時、ウェイトレスのお姉さんが「ここで食べますか?お持ち帰りですか?」と聞いてくれたんです。そこで私は「ここで食べるけど、あなたを持ち帰ってもいいですか?」と聞くと、そのウェイトレスのお姉さんは、恥ずかしそうに「すみません、私はテイクアウェイできません。」と言ってくれたのがとても印象的だったので、益々デュッセルドルフが好きになってしまいました。

これで、「春高ヨーロッパ倶楽部」2024年総会の報告とさせていただきます。
長い文章・稚拙な文章を読んでいただきありがとうございます。

それでは、みなさま次回は日本橋の集いでお会いしましょう。