[ 寄稿者:蓮田春高会広報担当 岡野 晃 氏(高24回) ]
10月1日8時、高8回卒から26回卒の14名を乗せた小型観光バスは、佐原を目指して出発しました。2時間後に着いたのは、伊能忠敬記念館。ガイドをつけることができない館内は、各自で1時間ほど見学しました。もっとも、千葉から来た小学生には各クラス1名のガイドがついていましたが。
忠敬は、伊能家の年収を数倍にするなど商才に長けていました。49歳で隠居すると、19歳年下の幕府天文方高橋至時(よしとき)の弟子になります。立派です。55歳で北海道根室までの往復3200キロの測量をし、71歳までに10回の測量を行いました。73歳で亡くなりますが、没後3年で日本全図は完成しました。忠敬の地図は、明治になると市販されます。新しい時代を切り開く道標となったのです。
街並み見学にはガイドがつきました。氾濫する川を利根川につなげることで舟運が発達し、街の発展につながりました。また、佐倉の街並みの特徴は、人が住んで保存している点にあるそうです。
次に訪れたのは、鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂です。成田山新勝寺よりも古く、春は桜、秋は紅葉が美しいそうで、仁王門や総欅造りの本堂は実に立派でした。境内に宗吾御一代記館があります。佐倉惣五郎は、直訴して子供ともども処刑された義民です。その生涯を、66体の等身大人形を配置した13の場面でわかりやすく説明していました。
道の駅常総でお土産を買い、帰路につきました。