第3回東京春高会海外視察「ベトナム・ハノイ社長訪問記」

[ 寄稿者:東京春高会 佐久間 健 氏(高14回)]

私たち東京春高会3人(27回山森一幸・42回関根良太・14回佐久間健)は4月24日から28日までハノイを訪れ、現地日本人社長3人と懇談し、また日本企業の工場見学もした。今回のビジネス視察の目的は、日本企業がベトナムで、どのように活動し、ベトナム国の発展に貢献しているか、ビジネス上の問題は何か、ベトナム人は日本をどのように思っているかを把握することであり、本格的な充実したビジネス視察となった。

ベトナムの簡単な予備知識:国土は日本列島から九州を省いたぐらい。人口約9,200万人。言葉は漢語だが、フランス統治時代にフランスがキリスト教布教のために漢字を全廃した。言葉は漢語をローマ字で表記するが、いろいろな発音記号があり非常に難しい。

1.ベトナム訪問そして春高OBとOJI社長との懇談

4月24日、現地ハノイ(2時間時差)12時30分ハノイ着。空港は昨年の12月31日にベトナム首相出席のもとに大々的に開空式が行なわれたが、これは日本ODAで大成建設が造った。高速を20分ぐらい走るとまたできたばかりの大きな吊橋【写真1】を渡った。これもODAで住友建設が造った。この橋の下の河がハノイの象徴ホン河だ【写真2】。この河の内側がハノイだ。ハノイは漢字で河内と書く。日本語でも河はハ、内はナイでつまりハノイだ。車がたくさん走っていたが市内が近づくと様相が一変した。バイクの大群の渦の中に我々はいた。旧市内に近づいたころに驚く光景を目撃した。バイクの前の荷台に屠殺した豚を1頭載せてすいすいと走り抜けていく【写真3】。どこへ行ってもバイクの渦で、隙間があればバイクが走る【写真4】。バイクは隙間産業で、ベトナムを動かす象徴でありベトナムのエネルギーを感じさせる。3時過ぎに市内見物に出た。さらなる驚きは、バイクの大群が走っているのに信号がひとつもない。交差点では、縦横それぞれ阿吽の呼吸で走り抜ける。横断歩道もない。反対側に行くには、ゆっくりと横断すればバイクと車がよけてくれる。急ぐと危ない。バイクは20~30km/hぐらいでゆったりと走る。

【写真5】王子製紙の宮崎大介氏(43回)(写真右端)、鬼塚社長(写真左端)らと会食

【写真5】王子製紙の宮崎大介氏(43回)(写真右端)、鬼塚社長(写真左端)らと会食

24日6時30分、王子製紙の宮崎大介氏(43回)、鬼塚社長らと会食だ【写真5】。庶民的なレストランを予約してくれたというが一流のベトナム料理店だ。3人は春高のTシャツで勢ぞろいだ。ゲストは4人で、7人でにぎやかに会食が始まった。4名のベトナム在歴は、3年~4年程度。当初の勤務工場はハイフォンだったが、増産のため、ハノイ郊外に工場を新設。

  • ベトナム及び国民は親日的であり、中国は好きでないというより嫌いだ。ベトナムの歴史は中国との戦いの歴史だ。歴代のベトナム王朝は尊敬されている。
  • ベトナムは素晴らしい国で、こちらに住み着いてもよいぐらいだ。
  • ベトナムの従業員は受け身であり、自ら進んで行動することはあまりしない。やる気にさせるまで時間がかかるが、やる気が起きるとその集中力はすごい。
  • 「ほうれんそう」はなく聞かれると答える。結婚式の招待は前日に来ることも珍しくない。
  • 公的な[仕事]よりも私的なことを優先するので、前日の招待でもみな結婚式には行く。
  • 買い物は空港ではなく、街のお土産屋がよいと日本人が経営する「スター・ロータス」という店を紹介してもらった。この情報が後で大いに役立った。
  • べトナムの商習慣、政府や役人についての話もあるがさしさわりがあり省く。

料理はうまい。生春巻き、揚げ春巻き、フォーなどがベトナムの代表的な料理だ。

2.25日、ハロン湾見学とリコー社長との会食

今日は世界自然遺産「ハロン湾」の観光。8時15分に小型バスが迎えに来た。約4時間かかる。ベトナムの朝はバイクの大群の朝だ。2人乗りは当たり前だが、3人乗りは禁止。しかし、子供2人と大人2人の4人乗りはOKでよく見かける光景だ。道はバイクの波が続く。道の両側は、大企業の工場が連なる。左側にはサムスンの大工場、来年オープンの建築中のイオンの超大型モールが目立ちすぎる。反対側にはキヤノンの工場群が見えた。外資系工場が左右に立ち並ぶ。企業の誘致は雇用を拡大し、ベトナムの経済成長を支える。

ハロン湾へ到着。ハロン湾は海の桂林と言われるリゾート地だ。建設中の別荘が多い。偉い方、商売で儲けた人たちが買う。べトナムにも富裕層が出てきたという。中型のクルーザーに乗りハロン湾一周の船旅だ【写真6】。広い船内は8人の貸切ですぐに食事が出た。ビールとワインで、うまい海鮮料理に舌鼓だ【写真7】。デッキにでてソファに横になる。あちこちに岩山の小島が突き出てまさに海の桂林で素晴らしい眺めだ【写真8】。帰りは夜の会食に間に合うか心配になったがバスは飛ばしに飛ばし18時15分過ぎにホテルに着いた。

【写真9】リコーイメージングの小林社長(右奥)と[SUSHI TOKYO]で会食

【写真9】リコーイメージングの小林社長(右奥)と[SUSHI TOKYO]で会食

社長訪問記リコーイメージング社長小林氏:ハノイ在住延べ10年(3年+7年)。元ハノイ日本商工会議所会頭。小林社長は岩槻区出身だ。会場はレストラン[SHUSHI TOKYO]。翌日、日本からリコー本社の社長が来るという忙しい時に時間をいただいた【写真9】。

  • ベトナムは女性がよく働く。リコーの現地従業員の8割は女性。最高幹部は女性だという。
  • 「ほうれんそう」がなく聞かれると答える。それは回答であり、報告ではないと従業員に言う。
  • ベトナム人は、一つの目標が定まるとそれに向かって一致団結して集中力を発揮し、成し遂げる能力がある。だからベトナム戦争に勝つことができたのだという。
  • 社会主義国で、法律はあるが、運用で回っている面が大きい。したがって、弁護士にものを頼むことは少なく、現地公務員等に人脈のある監査法人系のコンサルを使うケースが多い。
  • ベトナムでは交通事故が多い(1ヶ月の事故数が東京の1年間の事故数に匹敵する)。

小林氏は日本人ビジネスマンで一番長い在住者で、面白い話がたくさんあるが報告できないものが多い。小林さんのような人は余人をもって代えがたく社長勤務が長くなるのだろう。

3.26日、ベトナム市内観光

【写真10】ホーチミン廟をバックに記念撮影

【写真10】ホーチミン廟をバックに記念撮影

ガイドのTAN[タン]さんが迎えに来た。先ず建国の父ホーチンミンの廟に行く。8時半ごろなのに既に長い行列だ。予定を変更し、ホーチミン博物館を見学。次にホーチミン廟をバックに記念撮影を行う【写真10】。反対側に外務省や立派な国会議事堂が見えこれらを背景に一緒に写真を撮った。官庁街は廟を中心に配置されている。若い軍人の集団が歩いている。ベトナムは、大学へ行かない高卒は軍隊に入る。大学生は免除だ。常に臨戦態勢だという。家庭を守り、働いて給料をもらうのは女性の役割だ。


【写真11】文廟で、若いベトナム人女性に取り囲まれた私たち

【写真11】文廟で、若いベトナム人女性に取り囲まれた私たち

次に文廟(孔子を祭る)を訪れた。ベトナムでは孔子は学問の神様であり、学生は必ずお参りする。大学卒業前の学生集団がいた。帰りに若い女の子の集団に声をかけられた【写真11】。彼女らは大学生で日本語を学んでいる。ベトナムは日本語を学ぶ学生が増えている。


【写真12】おしゃれなレストラン[TONKIN]で夕食をとる3人

【写真12】おしゃれなレストラン[TONKIN]で夕食をとる3人

夕方ベトナムが誇る民族文化「水上人形劇」を観劇。11世紀ハノイの李王朝の時に水上劇場は生まれた。劇場は1日4回ぐらい公演され毎回満員になる。フランス人、米国人、ブラジル人、日本人であふれている。水の中で演じる独特の人形劇の素晴らしさに感動した。残念ながら写真は禁止である。特に音楽は新日本紀行の音曲のような感じでもあり、中国雲南の少数民族の音曲にも似ていた。約1時間30分の感動の観劇であった。夕食はフランス風のおしゃれなレストラン[TONKIN]に案内された【写真12】。トンキン湾のトンキンだ。ベトナム戦争が始まった場所がトンキン湾だ。 ここのベトナム料理もおいしい。

4.27日、工場見学と市内観光と日本郵船の社長との会食

午前中は宮崎さんの王子工場の見学。部屋に通され、この工場と王子製紙の海外ビジネスの説明を受け、さらに展示場で、製品の説明を受けた【写真13】。工場は段ボールをお客の要望に合わせ加工する。殆どが自動機械で処理されるが、工場の運営はベトナムの幹部社員が行い宮崎さんは実質的な工場長だ。ベトナムの従業員は丁重な挨拶をする。遠いベトナムで春高同窓生が活躍されている姿を目の前に見て感動を覚えた【写真14】。

【写真15】日本郵船ロジスティクス社長の蓑田誠氏(左から二人目)と会食

【写真15】日本郵船ロジスティクス社長の蓑田誠氏(左から二人目)と会食

さて夜の会食は高級なベトナム料理店で【写真15】。相手は日本郵船ロジスティク社長の蓑田誠氏だ。ベトナムは物流でも非常に大事な国だ。蓑田氏は、ハノイを中心に、週1回はホーチミンに出張する。仕事は物流業、倉庫業、湾港業、海運業と忙しくベトナム在留4年だ。ベトナムの食事はうまいが、A,B肝炎の予防注射を日本で打ってきたという。付き合いでいろいろなものを食べるからだ。部下の日本人もいるが、ベトナム女性と結婚することもあり、生活環境の違いやそのたの心配もあり、社長として気をもむという。ベトナム人は、ベトナム戦争について聞くと、苦しい思い出だが嫌がらずに答えてくれるという。戦争中にも「米国の行動は憎むべきだが、アメリカやアメリカ人を憎めという国民への教育はしていない」という。だから戦争が終わると国交がすぐ回復した。

5.28日、帰国の日

【写真16】ベトナム軍事歴史博物館の米軍戦闘機などの残骸の前で記念撮影

【写真16】ベトナム軍事歴史博物館の米軍戦闘機などの残骸の前で記念撮影

最後の見学は軍事歴史博物館とハノイ駅だ。7時50分にホテルをでて博物館に行く。軍事博物館と言うだけあって、ベトナム戦争当時のベトナム軍の武器や飛行機が誇らしく飾ってある。大きいので屋外展示が多い。今でも使っているソ連のミグ戦闘機、ソ連製の大型や撃墜された米軍の大型爆撃機の残骸がマグロの解体のように展示されている。また戦利品の米軍の大型爆撃機も展示されている【写真16】。


【写真17】人っ子一人いないハノイ駅

【写真17】人っ子一人いないハノイ駅

さて最後の見物が、ハノイ駅だ【写真17】。ベトナムは鉄道がほとんど機能していないと聞いていた。博物館から20数分歩くとレールが見えた。レールと枕木の間に雑草が生えている。駅の周辺は30年前ぐらいの秋葉原のような商店街で人も多い。でも人が吸い込まれていくあの駅の光景はない。 駅舎には人はいない。これがハノイ駅か。多分ベトナムには30年経っても新幹線は走らないと思う。これですべての日程が終わり帰国のためハノイ空港へ向かった。

非常に楽しい充実したビジネス視察であった。山森さん、関根さんお疲れ様でした。