越谷支部懇親会が行われました

[寄稿者:中村行生副会長]

毎年100人以上が出席(その秘密は”青木方式”に)

会場に入ると、ロビーの机に、出席者の名札が並んでいる。その数、百10人分。「でも、今年はすこし少ないほうですよ」と事務局長の安藤顕一さん(高6回、元春高教員)はいう。

4月21日、越谷支部(会長=中42回・中村喜久三)の懇親会場。季節はずれの寒い日だが、市内ばかりか、神奈川、東京、千葉、群馬、栃木からも同窓の人たちが集まってくる。

他の支部・春高会では、多くても40~50人という出席数だが、なぜ越谷はこんなに多いのだろうか。「この盛況ぶりは、青木知之先生(中24回、故人)方式のお蔭ですね。各学年の主な教え子に手紙を送って、『君の学年は何人出るように』と催促するのです。その考え方が、今でも受け継がれているのです」と、戸井田熙さん(高8回)。

「安藤先生から手書きの案内状をもらうと、出ないわけにいかないでしょう。そこで、越谷から転居した同期生にも電話して、一人でも多くの人に出てもらっています」と、岩本敏英さん(高33回)が語る。案内の往復はがきは、現在5百通ほど発送している。神能竜知(高36回)さんも、「他の地区の人にも声をかけています。ひとり一人に勧誘することが大事ですね」という。

このような役員の熱い想いが、毎年百人を超す数字を生み出しているのだろう。歴代の同窓会新聞を調べてみると、過去33年で出席数が百人を割ったのが昭和56年の一度だけ(96人)、後はすべて百人以上。平成元年には2百30人という記録がある。

「越谷支部は、春高一の、いや日本一の支部です」と今井宏同窓会長が言うのも、納得できる。メインテーブルでは、粕中卒業の8人の先輩が懐かしそうに談笑している。

一方、司会役は高27回と36回の若手が務める。万歳三唱の音頭は最年少の高46回。すかさず、「来年また来いよ」と声が飛ぶ。きめ細かく配慮と暖かさが、越谷の秘密のひとつなのかもしれない。

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