教育・教育行政

大学教員

1968年卒業   高20回

やぐち きよし 谷口 清 吹奏楽部OB

住所 埼玉県三郷市

春高に行って良かったこと

私の時代は武蔵野線がなく、浦和に通うのは日暮里周りとなるので、必然的に春高でした。春高では音楽部(吹奏楽)でトランペットを吹いていました(いつから音楽部と吹奏楽部は別になったのでしょうか?)。合わせて生徒会副会長もやり、2年生では春高祭実行委員として目立つようにでかい看板を作ったのはいいのですが、前夜の台風にその看板が飛ばされないよう泊まり込みで対応していたのもいい思い出です。私の同級生は2人も芸大に行っているのが自慢ですが、後輩が自分よりうまいのにショックを受けて、音楽の道は早々に諦めました。それでも音楽部は全国大会の常連でした(私の1年生まで)ので、いい先輩、同級生、後輩に恵まれて、高3の10月まで部活はしっかり楽しみました。それもあって、成績は1年から2年とだいぶ落ち、英語は赤点だったのですが、3年生になって一念発起、東京教育大学(現筑波大学)に現役合格しました。高校時代は本当に自由で好きに勉強も部活も楽しんでいたような気がします。

自己紹介

現在越谷の文教大学で人間科学部長をしています。大学では心理学を勉強し(学校の先生を目指していました)、学生運動をしていたので社会に出遅れることとなり、大学に残るしか道はありませんでした。東京教育大学の閉学とともに仙台に移り、東北大学で知能欠陥学に出会いました。人間が考えていることを意識できるのが不思議で、脳と心の関係の研究に進み、その後脳の発達と心の発達の関係に興味が移っています。どうして自閉症や発達障害の子供はコミュニケーションが苦手なのだろう、コミュニケーションが成立するというのはどういうことなのだろうということをずっと考えてきました。その背景には子供のころ、新聞の人生相談を読み、人にはなぜ悩みがあるんだろう、悩みがなければいいのにと感じた素朴な感覚があります。37歳で秋田大学に職を得、養護学校の先生を育てていましたが、ハーバード、ヘルシンキへの留学を経て東京慈恵会医科大学に移り、その後現任校に迎えていただきました。現在は発達臨床心理学を専門とし、不登校や学校不適応がなぜ起こるのか、家庭教育と学校教育の関係を子供の育ちという観点から考えています。