マスメディア
放送記者
1990年卒業 高42回
やじま ひろき 矢嶌 浩紀
住所 東京都新宿区
春高に行って良かったこと
当時は、まだ校舎が緑色の古い建物で冬はストーブもなく「遅刻電車」と言われる始業ぎりぎりに八木崎駅に着く東武野田線で通学していました。バンカラで男ばかりの3年間でしたが、皆、青臭く純粋でした。春高生って電車の中でもすぐに判るのね、単語帳持ってたりして。文化祭も体育祭もマラソン大会も、皆が一丸となって取り組んだ記憶しかなく、正直に自分をさらけ出すことが出来た環境でした。そこで出会った友人や恩師とは、一生の縁になりました。縁とは「人生の節目節目に必ず連絡をとりあう信頼の出来る関係」という意味で、私の人生を実り多く豊かにしてくれました。いま振り返れば、まだ自分自身を模索していた頃で、部活も学業も完全燃焼した優等生ではありませんでしたが、貴重な財産を頂きました。
自己紹介
卒業後、一浪して慶應義塾大学に入学。法学部政治学科4年次に米国ウィスコンシン大学マジソン校に交換留学しました。高校時代から英語が好きで、いずれ外国を見てみたい、また多少なりとも社会貢献の出来る仕事に就きたいという思いがあり、報道の仕事を選びました。地方勤務を経て韓国・延世大学で韓国語を学んだ後、ソウル特派員を務め、再びデスクとして若手育成に携わり、その後、PR業界に転職しました。その際にも高校時代の同窓生のアドバイスが役立ちました。
また、これまで仕事で得た知識と経験を体系的に学び直したいと、東大の大学院に社会人枠で入学し、在職しながら修士を修了し、今は博士課程に在学中です。学ぶことの面白さと大切さに気づかせてくれたのも、振り返れば、春高時代にその礎に触れられたからでしょうか?