春燦々会(高33回卒)長崎遠征レポート

[ 寄稿者:春燦々会(高33回) 文章:津布久 陽一 氏 ]

春燦々会(高33回)恒例の企画旅行。今回は遠藤周作「沈黙」(後に巨匠マーティン・スコセッシが監督して映画化)ゆかりの地を訪ねることを目的に、令和元年(「令和」使ってみたかった)11月23日(土)~24日(日)長崎に遠征しました。

そしてまったくの偶然ですが、11/24はローマ法王長崎ご訪問の日でもありました。(何かの啓示でしょうか?)

前回の鹿児島遠征と同様、現地集合現地解散。
11/23~24を基準として計10名が現地に参集しました。
その構成としては、
前泊:博多組×3名(石田、柳澤、立原)、佐世保組×4名(岩本、中原、鷲塚、津布久)、
当日:長崎空港組×3名(山口、中村、岡崎)で
11/23午後の合流を目指しました。さらにこの後11/25まで延泊した者もいます。

本レポートは、佐世保組行動時間(23日朝~24日解散)を中心に、前回同様、諸般の事情で決定した「遅筆」の津布久が担当します。
ゆかり旅行に気合いの入った面々の中には、事前に「沈黙」読破したり、映画を鑑賞したり。
私はというと、このレポート作成時でも実はまだ読んでいます。

1日目

前日の東京の天気が嘘のような晴れ。ダウンコートが邪魔でした。

ビジネスホテルで朝食を取り、8時にレンタカー店へ向かう。このとき佐世保組のもう1人のメンバ鷲塚くんにメール。近くに居るはずなのに、なかなか現れず。レンタカー準備も終わり痺れを切らして電話するとまだホテルに。後で聞いた話では、メアドを会社アドレスで登録しているので、会社じゃないとメール見れないのだとさ。とにかく彼を拾って、潜伏キリシタン遺構の多い平戸を目指しました。

平戸大橋を渡るとすぐにある平戸城は(理由は忘れましたが)休館していたため、北西に位置する生月(いきつき)島へ。生月を代表する景勝地である塩俵の断崖。ここはブラタモリでもよく解説されている柱状節理(マグマが冷却する際にできる六角形の亀甲模様をした岩)が迫力ある断崖を作っています。刑事ドラマのクライマックスで使われるとか、映像制作者向けの場所だと思ったりしました。

[塩俵の断崖]

ここまで来たら灯台まで足を延ばしたい、と誰かが言い出す。このとき運転手は中原くん。集合時間もあって別な場所を案内したかった様子でしたが、その希望を叶えてくれました(いい人だ)。

生月島の最北端に立つ大バエ灯台。崖の上にあるので駐車場から100m程度上がるだけなのだが、日頃の運動不足と肥満気味の身体にはちょっときつい。展望台にあがると眼下に大海原が広がり、漁船や遠くに島が見える(何島かまではわからない)。この日天気は晴朗、波は穏やか。沖縄(行ったことないけど)みたいにどこまでも紺碧の東シナ海が続く。海なし県の人間にとっては羨ましい限り。

ちなみに沖縄首里城は残念なことになってしまいましたね。首里城復活したら遠征候補にしよう。そして開業遅れそうなリニア新幹線に乗車するのも約束な。それまで皆頑張って生きましょう (´ω`)

灯台より戻って再び平戸島。ドライブ途中で見える海岸の景色が素晴らしく、思わず下車して、浜辺に降りてみました(この辺りは人津久(ひとつく)の浜という場所だったのかな)。とにかく天気が良くて、遠浅で透き通ったエメラルドグリーンの海と白い砂浜のコントラストが美しく、海外のリゾート地のような雰囲気でした。普通に歩けるほど砂が詰まっている。この近辺でもキリシタン信徒が処刑されている。映画「沈黙」での、海岸で岩を積み上げて処刑する磔刑シーンは、あまりにも違っていてちょっと想像できない、といった感想がでてきたりした。(その磔刑シーンは台湾で撮影したものらしいです。)

[美しい 人津久の浜]

[美しい 人津久の浜]

恐らく夏になるとにぎわうであろう海水浴場を通り過ぎる。道すがら看板に何度かでている隠れキリシタン集落も通り過ぎ、根獅子(ねしこ)の浜に着く。

平戸市切支丹資料館へ。ここで意外な人物に遭遇します。館内には、隠れキリシタンの祭具など色々な展示物があった。大型ディスプレイに、1回10分程度の隠れキリシタン信仰の説明ビデオが流れていましたが、岩本くんが凝視していて離れない。そのうち… …「これ見間違いじゃなかったら中澤じゃないか?」と言い出した。まさかと思ったが皆で確認すると、そこには棚田ウォークする同期の中澤くんの姿があった。w(゜o゜)w

なんということか、こんな邂逅ってある?…春燦々会の縁の強さ、深さを感じざるを得ない。ビデオ出演とはいえ、この場所で、この面々で出会うなんて。それにしても、ビデオの数シーン一瞥で発見する岩本くんの眼力とは。すごいな。何というか、きっと愛なんだ、これは。中澤くんはすでに退役しましたが、最後は長崎の自衛隊の司令官だったとのこと(間違いでしたら、ご容赦願います)。地元の人達との交流に力を入れていたということが良くわかります。

目にも眩しい真っ白な紐差(ひもさし)教会に着く。ここで正午の鐘が鳴り荘厳な雰囲気。ローマ法王を歓迎するポスターが貼ってある(明日は来崎当日だ)。続いて宝亀教会は打って変わって赤いレンガ作り。中に入ると木造の瀟洒な建物であることがわかる。そろそろお腹が減ってきた。名物佐世保バーガーが良いということになり、佐世保に再度向かうことにしました。

[白い紐差教会]

[白い紐差教会]

[赤い宝亀教会]

[赤い宝亀教会]


海岸線を行くと漁港が見えてきた。リアス式海岸の複雑な地形を持つ長崎は、釣りをする人にとっては魅力的なんだろうな(日本一の島数だってさ)。

平戸大橋を渡る前に、平戸ザビエル記念教会へ。ここは前2つに比べると大きな教会で、教会敷地内にはマリア像、「平戸殉教者顕彰慰霊之碑」が建立されている。平戸は西欧という異文化を受け入れ、布教も盛んだったこともあり、禁教になって以降、大変な影響を受けた当時が偲ばれる。

[平戸殉教者顕彰慰霊之碑]

[平戸殉教者顕彰慰霊之碑]


昼食はバーガーショップ「ヒカリ」。前泊したビジネスホテルのフロント女性陣のお勧めだ。佐世保バーガーの公式ガイドに記載されているところは、どこも手作りにこだわり、何とかドナルドみたいに、早く出来てこない。さらに休日だからか駐車場も混雑している。ちょっとした待ち時間が期待感を増します。ここでちょうど運転を替わった私は、2年ぶりの運転だったので余裕なく、次に運転替わるまで暫くお預けでしたが、少し冷えていても大変おいしかった。

他の組との待ち合わせは出津(しつ)文化村駐車場。バーガーで食事時間短縮できたのですが、それでも遅れそう。西海パールラインを通り、山道を西海市の東シナ海側へ抜ける。途中、針尾送信所の象徴である、巨大な3本のコンクリート製の電波塔(太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ」を送信)が見えた。横目にハステンボスもあったはずなのに…気づかなかった。何度も言うけどこの日は晴天。静かで絶景の大海原が目前に。日が傾きかけて海がキラキラ光っていました。

ようやく出津文化村駐車場に到着。長崎市外海歴史民俗資料館やド・ロ神父記念館、黒崎教会堂などが集中している「出津文化村」に、佐世保組は予定した待ち合せ時間に間に合わなかったのです。別な組が見学したので、写真だけでお楽しみください。

[大村湾風景案内図を挟んで撮影]

[大村湾風景案内図を挟んで撮影]

[潜伏キリシタンの祭具など(平戸の資料館でも同じ様なものが)]

[潜伏キリシタンの祭具など(平戸の資料館でも同じ様なものが)]


その一角で海をみおろす場所に「沈黙の碑」があります。外海(そとめ)と呼ばれる「沈黙」の舞台トモギ村のモデルとした場所です。「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」という言葉は、「沈黙」には出てこない。(とうとう読み終えました (≧▽≦)☆)

眼の前はどこまでも続く紺碧の海で、自然はこんなにも素晴らしいのに、平戸の慰霊碑のような、名もなき人達の殉教が起こってしまう、人間世界の悲哀。この作品を通じて流れる嘆きや哀しみを端的に表しているように思われます。還暦片足かかっている身には、希望通りにならず、生きていくこと自体が難しかったり、身近の出来事に哀しかったりと、沁みるように考えさせられます。ようやく全員集合して記念撮影。

[沈黙の碑を囲んで]

[沈黙の碑を囲んで]


遠藤周作文学館は確かに断崖絶壁の上に建っている。立ち寄ると、ちょうど10名なので団体割引料金になりました。遠藤周作は幼少のころカトリック教会で洗礼を受けたとのことで、なるほどキリスト教が身近にあってこの作品という訳ね。文化勲章受賞していますが、その賞状が展示されており、生の「御璽」って初めて見ました。

文学館を出たあと、長崎市内へ移動。それぞれの組でレンタカー返却してくる(福岡組除く)。

[遠藤周作文学館]

[遠藤周作文学館]


長崎駅から送迎バス乗車して、此方では考えられない坂をぐいぐい進み、ホテル「にっしょうかん」に着く。坂の町というだけあり、その高台に位置して全室長崎港に向いているらしく、最高の眺め。長崎は世界新三大夜景に認定されているらしいのですが、まさに、ここの夜景には感服いたしました。入浴後(長崎港を見下ろす露天風呂あり)、夕食には長崎伝統の卓袱料理を堪能。卓袱は特別に中原くんが準備させたものとのことで、ここでもお世話になりました。

夕食後は部屋で2次会。どんな話題をしていたか忘れてしまったが、またもや突然岩本くんが「津布久がローマ法王に似ている」と言い出した(俺はそんなに年寄りじゃない、と不機嫌)。違いは背丈だけとか(もう止めようこの話題)。

先日の春日部高校創立120周年記念事業「大人の春高祭」で出会ったオペラ歌手「中須美喜」さんを応援しようとか。長崎人には色々血が混じっているから川口春奈みたいな美女が多いとか、云々。前回の鹿児島遠征じゃないけど、皆遅くまで騒ぐことはせず、バタンキュー。…ところが、明け方まで浴場で寝ていた人がいました。鷲塚くん深酒はやめよう、危ないよ。

[全員揃って夕食]

[全員揃って夕食]


2日目

長崎は今日も雨だった。朝起きるころ曇っていた天気は、朝食を終えるころ雨に。しかも雷鳴轟いていました。

9月22日の台風17号の接近により軍艦島(端島)見学施設が損壊。事前に軍艦島へ上陸することができないとわかっていたが、代替となる「軍艦島周遊コース」へ向かうメンバ3名と、市内観光組に分かれてホテルを出発。以下は市内観光組目線で報告します。

長崎駅でロッカーに荷物を預けたあと、歌詞にもある通りの石畳の道を、徒歩で、長崎放送局や中原くんが以前勤めていた新聞社前を通りすぎて、諏訪神社に到着。長い坂を登ってようやく拝殿に。ちょうど天皇陛下の即位礼にあわせて記帳が行われていました。ここの秋季大祭が長崎くんちとのこと。(雨の中、階段登り降りだけで疲労 (≧△≦)イヤー )

[日昇館送迎バスで出発]

[日昇館送迎バスで出発]

[諏訪神社]

[諏訪神社]

諏訪神社から眼鏡橋へ向かう際、長崎電気軌道の路面電車を利用。1日乗車券を購入しようとしたら、電車車内での販売はしておりません、とのこと。要注意です。知らずに乗車した我々は、運転手さんのご厚意により、この区間無料でした。 \(≧U≦)/

雨が降っていたので、川面に映るという眼鏡橋の眼鏡が良くわからなかったな。

[眼鏡橋]

[眼鏡橋]


ここから再び歩く。浜町のアーケードを通って、古そうな喫茶店「ツル茶ん(つるちゃん)」に入店します。どうやら九州最古の喫茶店らしい。早速名物のミルクセーキを注文。旅行前に岡崎くんが希望していたスイーツですが、当の本人は軍艦島組のため残念でした。このミルクセーキ、飲むのかと思っていたら、冷たい食べものでした。皆は食欲旺盛。私は朝食一杯食べたのでちょっと残す(ハーフサイズもあります)。小腹が減っている暑い日だったら最高だったのにな…と思いました。喫茶店入り口には美味しそうなトルコライスの看板も出ており、お勧めは色々ありそうです。我々が出るころには、お客さんが続々と入店していました。

[ツル茶んでミルクセーキを食す]

[ツル茶んでミルクセーキを食す]


さらに歩いて、入館せずに外から見学。出島は思ったより小さい(狭い)。ここに貿易関係の建屋ばかりでなく、異人の住居もあったなんて信じられない。鉄道発祥の地なのは、営業運転は新橋-横浜だけど、試運転は長崎でいち早く実施したということらしい。そんな歴史遺構だけじゃなく、この辺り、現在は美術館やメディカルセンタなどを集めて、ウォータフロントとして開発が進んでいる様子です。

[出島は外から見学]

[出島は外から見学]

[大浦天主堂の前で]

[大浦天主堂の前で]


旧香港上海銀行先を曲がり、大浦天主堂の前を通って、緩やかな坂を登るとグラバー園の入り口。エスカレータや動く歩道が設置されているなど、見学し易く整備されていました。旧グラバー住宅は世界遺産(明治日本の産業革命遺産)。印象に残ったのは旧三菱ドックハウス。最も高いところにある建物で、何しろ2階ベランダから長崎港を一望できるし、城でいえば天守閣ってところでしょう。さすがは三菱と思っていたのですが、この建物は移築されたそうです。

それ以外にも文化財級建物を移築している。西洋式暖炉があったり典型的な和洋折衷型建築(っていうのですかね)が多いのですが、東南アジアの影響受けたのか南国風の建物もあって個性がでている。グラバーが坂本龍馬や岩崎弥太郎と関係していたぐらいの知識はあったけれど、明治期の日本に影響を与えた外国人がそれ以外にも沢山いたことは、改めて勉強になりました。秘密結社なのに誰もが知っているフリーメイソンのマークを象った門柱が、旧リンガー住宅脇にあったりして、既に外来生物が繁殖を広げていたという痕跡が…。(あとで調べたら、リンガーはグラバー後の長崎の指導者で、外食チェーン・リンガーハットの社名の由来の人物だ。)

[グラバー園入口]

[グラバー園入口]

[旧三菱第 2 ドックハウス のバルコニーより長崎 港 を望む]

[旧三菱第 2 ドックハウス のバルコニーより長崎 港 を望む]

[旧三菱第 2 ドックハウス 2 階バルコニーで記念撮影]

[旧三菱第 2 ドックハウス 2 階バルコニーで記念撮影]

[門柱の頭にフリーメイソンのシンボルマークが]

[門柱の頭にフリーメイソンのシンボルマークが]

[旧ウォーカー住宅の雰囲気ある居間]

[旧ウォーカー住宅の雰囲気ある居間]

[晴れ間が出たので長崎港をバックに]

[晴れ間が出たので長崎港をバックに]

[南国風の旧オルト住宅]

[南国風の旧オルト住宅]

[グラバーの胸像]

[グラバーの胸像]

[工事中の旧グラバー 住宅]

[工事中の旧グラバー 住宅]


グラバー園の見学も終わりに近づくと、徐々に雨が止んできて晴れ間がのぞく様になりました。この頃、まさにローマ法王が平和公園(爆心地公園)や西坂公園(日本二十六聖人殉教地)を訪れていて、天候に奇跡が起こったようです。

急に晴れたりすると何が起こるか、というと傘の忘れ物。グラバー園で私もやってしまいました。探している間に(結局見つからず)、福岡組は飛行機の都合もあって、ここで帰路に付きました。(さんざん私の事を法王と茶化してくれた立原くんともお別れ。 (# ゚Д゚) ムッカー)

グラバー園の出口で軍艦島組と合流し、昼食のために新地中華街へ向かいました。
江山楼中華街新館。ここは中原くんが長崎時代に頻繁に通ったそうな。長崎を離れるときも最後に食事を取ったとのこと。お勧めの一品皿うどんを食べました。太麺で魚介類の出汁が効いている絶品で、さっきのミルクセーキでそれほどお腹の減っていないなか、スッキリと完食致しました。

[軍艦島組と合流]

[軍艦島組と合流]

[江山楼新館の方に入店]

[江山楼新館の方に入店]


昼食を終えて平和公園方面へ。路面電車に乗ろうとして停留所に向かうと人がいっぱいで混雑していました。ギュウギュウ詰め(そういえばさっき長崎新聞の号外が配られていたっけ)。ミサに参加する集団と思われます。一部はそうした人達専用の貸し切り車両になっている。何台かをやり過ごして乗車。

爆心地公園の前。午前中に、ローマ法王が来訪して、核兵器廃棄に関するメッセージを発表したので、今の時間はもうとっくに終わっているはず…なのに、規制されていて入れない。

[入園が規制されている爆心地公園前で]

[入園が規制されている爆心地公園前で]

そこから歩いてすぐに平和公園があります。平和公園は悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと世界平和への願いを込めて作られたそうです。

入口近くの一角、平和の泉の正面には、被爆し、水を求めてさまよった少女の手記が刻まれている。原爆の熱線で焼けただれた被爆者たちがどういう状況だったのか、想像するに余りある。これが戦争の結果だと教えてくれる。そして前回の鹿児島遠征の知覧でも辿り着いた、どうして日本にこんな時代が存在してしまったのか、という心境にリンクします。幕末~明治の話題となれば鹿児島編と繋がること多いな。;(´◦ω◦`):

[平和公園前の石碑]

[平和公園前の石碑]


戦争は悲惨なばかりでなく、狂気ももたらす。マンハッタン計画で製造から一ヶ月も経たないうちに、日本に原爆が投下されている。エンジニアの立場で言うと、性能や効果について、どれだけ事前に検証したのか? どんな影響がでるかわからないまま、大多数民間人が住む都市に対して適用したとすれば、狂気以外に考えられません。そんな時代に二度と戻ることないよう、今を生きる我々が心して行かねばなりません。

今や原爆を落とした側のアメリカと同盟関係を結んでいる日本。実は、先のグラバー園から望む長崎港には、停泊しているイージス艦が見えた。平和を希求するために現実解を持つことは否めず、様々なジレンマを抱えながら、これから日本はどうなっていくのでしょうか?

有名な平和祈念像は、天を指した右手が原爆の脅威を示し、水平に伸ばした左手が平和を祈っている。原爆は明確に脅威だけど、その右手、核の傘差しているってことはないだろうか。

長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂に人が集まっている。ここから僅かに、野球場のパブリックビューイングが見えて、法王のミサが中継されていると知った。今まさにそこに法王がいます。日本(と世界)のために祈っていただきありがとうございます。感謝。

「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」この言葉は現代そして未来の日本に対しても、やはり当てはまるのか。法王の祈り(核兵器の廃絶)が「沈黙」されませんように…  ( •̀人•́ )

[ 法王ミサに参加するため野球場に集まった人達]

[ 法王ミサに参加するため野球場に集まった人達]


長崎駅近くまで戻って最後に西坂公園を散策。日本二十六聖人記念館(入館せず)前にある聖人記念碑には、等身大のブロンズ像がはめ込んである。豊臣時代に弾圧が強化されていった頃、キリスト教徒26人が火あぶり、水責め、穴吊りで処刑され、日本で最初の殉教者として聖人になった。多分、こんな説明をしようと、ブロンズ像前で、どこかの放送局の女性アナウンサーがリハーサルしていた。

[日本二十六聖人記念碑のブロンズ像]

[日本二十六聖人記念碑のブロンズ像]


長崎県物産館(1階がバスターミナル)で、それぞれお土産を購入(勿論ここまでの間で少しづつ購入した計画的なメンバもいます}。東京でも購入できるメジャーブランドでなく、地元ブランドのカステラがお勧めとのこと。

バスターミナルを最後に、名残り惜しくも長崎遠征の旅も終わりを迎え、三々五々、帰宅の途につきました。(長崎空港では、キリスト教関係の方が多かったように見受けられます。ここでトルコライス頂きました。)

色々な意味でカウントダウンが近い我々にとっては、無事に帰りつくことも大切です。旅にアクシデント(予想外の出来事)は付き物といいますが、無事で何より。殆どのメンバが初めて踏み入れた長崎での感動体験、気になるあの人の登場もあり、2日間満喫できました。

中原くんには毎回旅行でお世話になりっぱなしですが。今回は特に、ご本人が新聞記者として過ごした長崎が舞台だったので、島嶼部の名所めぐり、長崎は今日も雨だった市内に加え、ローマ法王来崎の混雑を避けての移動も割とスムーズに運ぶことができ、重ねて御礼申し上げます。

春燦々会の次回遠征、果たしてどこになるでしょうか? できれば未だ訪問してないところが良いのですが、とても楽しみです。なお、3日目も休みを取得した2名(鷲塚くん、岡崎くん)は雲仙のほうに向かい、宿泊するホテルの部屋が、かたせ梨乃さんの隣というところまでは報告を受けています。以上で報告を終了します。ちょっと真面目過ぎましたか。

PS)レポート作成中に発見。政府は11月20日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王の来日に合わせて、今後は呼称を「教皇」に変更すると発表した。
本レポートでは、あえて旅行中に使っていた「法王」としました。