流山史跡巡りのご報告~万上みりんと天晴みりんと春女OG~

[ 寄稿者:東葛春高会広報担当  蓮見 博之 氏(高24回) ]

~東葛春高会 交流企画~

流山史跡(流山本町)巡りウォーキング

一茶双樹記念館での全員集合記念写真

一茶双樹記念館での全員集合記念写真

東葛春高会では、高校46回卒山中さんの企画で、流山史跡巡りの会を5月15日(日)に好天の中、実施いたしました。流鉄流山線の平和台駅に集合し、コースは以下のおすすめハイキングコースを巡り、丁度3時間で流山駅前で昼食後解散となりました。

千草神社⇒赤城神社⇒光明院⇒一茶双樹記念館⇒長流寺⇒江戸川堤防⇒キッコーマンみりん工場⇒庚申塔⇒浅間神社⇒常与寺⇒新撰組陣屋跡⇒閻魔堂

流山の地名の由来は、群馬の赤城山の一部が洪水で流れてきたこと。その山が赤城神社として祭られている。そのしめ縄は、なんと500㎏あり、千葉県一とのこと。廃藩置県では、流山が最初に県庁所在地となり、その際に開校した小学校が千葉県の第一号の小学校であり、準備の施設が千葉大学教育学部の発祥の地として記念碑が建立されたこと。柏より歴史があるなあと悔しそうな声あり。

江戸時代には、徳川家康による治水工事により水運の要衝として発展し、特に関東で初めてのみりんが発明されそれまでの京の『下りみりん』をしのぎ、江戸に水運の利を生かして供給されたのが、今に残る深川家の万上みりん、ほぼ同時に開発されたのが秋元家の天晴みりん。

残念ながら天晴みりんはその後なくなりましたが、初代の秋元双樹が財を成して小林一茶のパトロンとして俳句の友人として有名になりました。

庚申塔とは、当時の庚申信仰の名残を伝える史跡。またこれも有名な新撰組の陣屋跡、閻魔堂と見学し、天気も良かったことから江戸川の堤防で、昔から江戸川はなぜか埼玉県側のみが洪水になるとなったこと。当の説明を聞き楽しい時間を過ごしました。

このように詳しく見学しながら知ることができたのはNPO法人「流山史跡ガイドの会」の皆様のおかげでした。流山の史跡を巡る際には、是非ご利用ください。

最後に、ビールで喉を潤し食事をして解散となりましたが、なんとその甲子屋(トンカツ屋さん)のおかみさんは、春女出身でした。流山に行かれた際は、こちらも是非ご利用ください。

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