昭和音楽大学教授

1970年卒業   高22回

いしうち としあき 石内 聡明 吹奏楽部OB

住所 北足立郡伊奈町

春高に行って良かったこと

良かった事としては、先ず【質実剛健】の下で有り難くも極めて自由な環境で自らを修められた事かと思われる。
仲間達、即ち学習に真剣に取り組み進学校ならではの結果を出すべく惜しみない努力を自らに課していた彼らの中で、どうやら私は将来を模索しつつも凡そ音楽芸術の道に進む事を前提としての高校生活を送っていた感がある。
芸術系、それも文学で無く美術でもなく無形の音楽であった事、先生方としてもその後押しについては如何ともし難いものがあったと思われるが、逆に常に非常な程に興味を以て私に接して頂けた事が何よりも有り難い事であったと思う。また所属していた吹奏楽部の直先輩で芸大等に進まれた方々がそこへのレールを私の為にしっかりと敷いてくれた事には本当に心からの感謝に堪えない。 想い起こせば日々の部活動終了後、定時制の時間を超えてもまだまだ打楽器の練習に明け暮れた訳であるが、途中で定時制の皆さんに紛れて食した格安な温かい夕食が忘れられない。そうして深夜近くに守衛さんに優しく促されて校門をあとにし八木崎駅から乗ったがらんとした電車内の木製肘掛けを練習台にして、又々二本の桴を取り出しトコトコ音を出して帰った事が今ではとても懐かしい。

自己紹介

私の音楽家人生を過去に辿ると小学生時代にまで遡る。
長野県は松本市のとあるカトリック教会聖歌隊に小学校1年から5年間所属し、そこで所謂聖歌のみならず広く様々な音楽的素養を当時のオランダ人神父や指導者の方々より極自然に身に付けて頂けた事、これが間違いなく私の音楽への出発点となっている。
その後埼玉の地に移り中高生時代を過ごすのだが、当時の風潮で私も洩れなく学生運動に加担するも自由な校風の春高にて器楽に目覚め、吹奏楽部を歴て東京藝術大学に進む事となる。
実は小学生の頃から何故か“らしからぬ?”ワーグナーやR・シュトゥラウスそしてスクリヤビンといった作曲家のオーケストラ作品…非常に大人びてマニアック?をレコード針が磨り減るほど無心に聴いていた私、それ程にオーケストラ狂の私は大学2年より既存のプロの管弦楽団にエキストラで演奏参加し経験を積ませて頂いていた。
大学を卒業してからもエキストラ奏者としての仕事を主に生計を立てていたが、供給と需要のバランスが著しく宜しくないこの交響楽団業界では、ましてや希望する楽団に入れるなど皆無、当て処も無いままにフリーの奏者として一途に希望楽団の欠員募集を待っていた時期はとても苦しいものがあった。
しかしながら27歳の時、なんとなんと洗礼も受けていない私に神が微笑んだ?私的に日本最高のオ-ケストラと評価し入団を夢見た楽団の募集があった。
最愛の読売日本交響楽団である。
大変に厳しいオーディションだったが通過し晴れて入団、10数年後には首席奏者となり入団以降定年までの37年間この上ない至福の時を全うすることができた。
現在は昭和音楽大学と大学院の教授を拝命し、演奏面での仕事は減ったものの同大学内での講義や後進の指導に日々追われる毎日である。