推理小説家

1970年卒業   高22回

おりはら いち 折原 一

住所 埼玉県白岡市

春高に行って良かったこと

祖父と父が春高(旧制粕壁中学)出身だった関係で、子供の頃から「おまえが行けば三代つづけて春高だ」などと頭にすりこまれていた。中学の担任には別の高校を勧められたものの、同じ学区内の春高を選んだ。結果的にそれで正解だったと思う。
中学時代から推理小説ファンだったので、読書系のサークルがあれば入りたいと考えていたが、春高にその手のクラブは存在せず、不本意ながら「帰宅部」になった。手持無沙汰な放課後は、たいてい高校図書館に直行するパターン。幸いにも先輩が寄贈していった推理小説の文庫本が多数あり、それらを読みつくした。現在の「推理小説家」という特殊な職業につくうえで、この春高時代の読書体験が役立ったのは間違いない。
通学は楽だった。東武伊勢崎線の和戸駅から八木崎まで約20分。住んでいた白岡町(現在は白岡市)は春日部市に隣接しており、直線距離が近かったので、天気のいい日にはのんびりと自転車やバイク通学を楽しんだものである。

自己紹介

高校3年の時、某受験雑誌に江戸川乱歩創設のワセダミステリクラブが紹介されているのを見て、大いに心を揺り動かされた。当時、国立文科系進学のクラスにいたが、一学期途中で私立文科系に進路転換、早稲田大学第一文学部に狙いを定める。
入学した早稲田大学では、1、2年の時、ストの影響で授業があまり行われず、必然的にミステリクラブに入り浸り、読書三昧の生活を送った。大学卒業後は日本交通公社(現JTB)に入社。3年後、希望していた出版事業局に異動、ガイドブックや雑誌の編集に携わる。35歳の時、文藝春秋主催の「オール読物推理小説新人賞」に応募し、最終候補に残ったことで推理作家になろうと決意。1987年、退社。
1988年、東京創元社から『五つの棺』で作家デビュー。翌1989年、『倒錯のロンド』(講談社)で江戸川乱歩賞最終候補。1995年、『沈黙の教室』(早川書房)により、日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞。1997年下期、『冤罪者』(文藝春秋)にて直木賞候補。以後、作家専業で今日に至る。2015年の時点で、作品数は53。