経営者

アメリカンファミリー生命保険会社社長

1970年卒業   高22回

やまうち ひろし 山内 裕司 吹奏楽部OB

住所 川口市

春高に行って良かったこと

私が春高に通っていたころの八木崎は春高と税務署しかなかったように記憶している。周りには、まだ、畑が一杯あり長閑な雰囲気であった。自然に囲まれ、「質実剛健」の下、自由気ままな高校生活を謳歌することができた。このような、自由で大らかな高校生活がその後の私の人生に大いに役に立っていると思う。部活(吹奏楽部)では、クラリネットを吹いていた。当時の春高の吹奏楽部には音大を目指している先輩、同輩が何人もいた。したがって、先輩も音楽には厳しいが、所謂先輩・後輩としての関係はフランクであり、後輩の面倒見もよく、色々なことを教わることができた。これもまた楽しく高校生活を過ごせた要因であったと思う。今でも時折、吹奏楽コンクールの前などは夜遅く、納得がいくまで練習した思い出が過る。そもそも春高に進学したのは、当時進学校で吹奏楽に定評があり、自宅(野田線の七里)から近いということが理由であった。そういう意味では、部活に、勉強に、何の制約もなくとことんのめり込むことができた。いま、振り返ると本当に自由で楽しい3年間であった。

自己紹介

中学生のころより、数学が好きで大学進学は数学科と決めいていた。幾つか大学を受験し、複数の大学に受かることができたが、理科系の単科大学ではなく文科系もある総合的な大学の方が良いのではという先生の勧めもあり、埼玉大学の理工学部数学科に進んだ。就職に当たっては、数学が活かせる職種ということで生命保険会社のアクチュアリーを選び、アフラック(アメリカンファミリー生命)に入社した。就職活動時は、アフラックは日本で営業を開始してまだ、1年未満という外資系の会社であった。その当時、日本では「がん」という病名さえも口にすることが憚られていたが、敢えて「がん保険」を販売している会社であった。「がんと闘う方々を救いたい」という創業者の強い思いと、日本で初めて「がん保険」を販売したという先進性に惹かれて入社した。数理部という部署への配属となり、就職に当たっての目標はクリアできた。この時が新卒募集の1回目で私は新卒第一期生となった。入社した当時は我々新入社員を含めてまだ、社員200人強の会社で知名度はゼロと言っても過言ではない状態であった。それから39年間、私は色々な業務を経験し、その間会社も大きくなり、私も今年(2015年)の1月に日本における代表者・社長を拝命するに至った。もう少し、社会の役に立てるよう頑張ってみようと思っている。